BOOK ROOM 本の部屋・過去ログ
(99.4〜99.10)
*目次
東野圭吾「秘密」
ポール・ギャリコ「幽霊が多すぎる」
栗本薫「グイン・サーガ」61〜67巻
竹本健治「入神」
はやみねかおる「消える総生島」
殊能将之「ハサミ男」
グリン・カー「マッターホルンの殺人」
浅黄斑「轟老人の遺言書」
栗本薫「タナトス・ゲーム」
島村菜津「エクソシストとの対話」
T・S・ストリブリング「カリブ諸島の手がかり」
石ノ森章太郎「人造人間キカイダー」
ハラルト・シュテンプケ「鼻行類」
天童荒太「永遠の仔(上・下)」
池井戸潤「果つる底なき」
辻真先「宇宙戦艦富嶽殺人事件」
はやみねかおる「そして五人がいなくなる」
はやみねかおる「亡霊(ゴースト)は夜歩く」
その他の過去ログ:
98年7月に読んだ本
98年8月〜10月に読んだ本
98年11月〜99年3月に読んだ本
99年11月〜00年3月に読んだ本
2000年4月〜2000年10月に読んだ本
2000年11月〜2001年10月に読んだ本
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東野圭吾「秘密」
映画化もされた、東野圭吾の日本推理作家賞受賞作。バス事故によって負傷した、平介の妻と娘。妻は命を落とし、娘は奇跡的に息をふきかえす。しかし、意識が戻ると、娘の体に宿っていたのは妻の人格だった・・・。
話題になってから随分時間が経過しており、購入してからも滅茶苦茶経ってますが、映画化に合わせて今ごろ読了しました。感想は・・・もう、男の哀しみが全面に満ちあふれてますねえ。娘の体に宿ってしまった直子さんも可哀相だけれど、やっぱり、彼女の成長に伴って嫉妬に蝕まれていく平介氏が途方も無く哀れです。人間は、大切なものは失ってから気付くというけれど、その「大切なものを失う哀しみ・不安」を一度味わってしまったのが、平介氏であるから、再び妻が自分のもとから去っていくかも知れない、という不安を抱いてしまうと、自分でも制御できなくなってしまったのでしょうね・・・。
その他にも、男ならわかるよね、この感情・・・というような、結構赤裸々な部分まで描写されており、それにつられてどんどん感情移入していくのが自分でもわかりました。そう、こんな突拍子もない設定のお話でありながら、出てくる人物はみんな生の、どこにでもいそうなリアルな人間なんですよね。だから、切ない。だから、哀しい。もし、本当に自分も同じ状況に立たされたら、きっとこういう風になるだろう、と思える。
そして、あの哀しすぎるラスト。このあたりはネタバレなしで語るのは難しいのだけれど・・・涙なしでは読めませんでした。うう。でも、ミステリというよりは恋愛小説だったような気がします。映画もきっと、恋愛映画になっているんだろうなあ。密かに原作と比べに行こうかと画策しているのでした。
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ポール・ギャリコ「幽霊が多すぎる」
由緒あるパラダイン男爵家の屋敷は、重すぎる相続税への対策として、カントリークラブとして開放されることになった。ところが、その直後から、尼僧の幽霊の出現、ポルターガイスト、深夜に鍵のかかった部屋でハープがひとりでに鳴る、などといった奇妙な出来事が次々に起こり始める。遂には来客にまで危害が及び始め、幽霊に心底会いたいのに実は会ったことのない、心霊探偵アレグザンダー・ヒーローの登場となる。複雑な人間模様の中で起こる不可解な幽霊騒動の真相は?
帯にはポール・ギャリコ唯一の本格ミステリ!という宣伝文句が書いてあるが、実はポール・ギャリコという作家さんを私は知りませんでした(笑)。ですが、解説の我孫子武丸氏の絶賛通り、実に本格らしい本格ミステリで、犯人も含めてなんとなく憎めない登場人物達の動きなど、いろいろ楽しめました。
そう、なんというか、出てくる人みんな、「カワイイ」のです。探偵役ヒーロー氏も、妙にモテモテのくせに女性の扱いが上手とはいえないところとか、頭はそれなりに切れるのだけど少しも高慢でないところが実にいいし、途中で助っ人に現れる彼の妹メグの、ヒーローの監視者を気取りながらも純情可憐なところとか(笑)も、とても素敵です。出てくる子供たちも生き生きしてていいし。好きです、ハイ。
そして無論、キャラだけじゃなく幽霊騒動という舞台仕立てとプロットもいいのだけれど、トリックとしてはそんなに斬新とはいえないかも。それでも、心霊学の知識・見せ物小屋のトリックの歴史に裏打ちされているので、話の雰囲気にはピッタリとマッチしてます。良好です。翻訳も読みやすくて良かったし、近年読んだ海外ものの中ではかなりのお気に入りです!
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栗本薫「グイン・サーガ」61〜67巻
実はこのシリーズ、高校時代からずっとリアルタイムで追いかけてきたのだけれど、ここ一年ほど読むのをさぼっているウチに、未読が7冊もたまってしまった。今回、唐突に未読を解消したくなり、3日で一気読みしてしまいました(笑)このHPの更新と掲示板のレスが遅れた要因の一つとなっていました、ハイ(笑)
未読の方のために、ストーリーを具体的に紹介するのは避けますが、いやあ、60巻を越したあたりから、怒濤の展開に更に拍車がかかってきましたねえ。なんせ、まだまだ遠い先だと思っていた大きなイベントが次から次へと・・・そうこうしてるうちに、もうすぐ70巻。ここ数年栗本氏の執筆ペースも滅茶苦茶早くなっているし、このままいくとはっと気がつくと100巻、ってことになってそうでコワイです(笑)。
それにしても・・・このシリーズが始まってもう20年ほど経っているようなんですが、作中でもどんどん時間が経過して、物語のスタート時から6年ほどになるようです。栗本氏は常々、グインサーガのテーマは流れてゆく「時」なのかも知れない、と言っておられますが、こうしてまとめて読んでみると、ますますそれを感じてしまいます。登場人物たちの身辺も、どんどん変化して、中には五体満足でなくなってしまうという、びっくりするような目に遭われた方もいらっしゃいます。そうした変化が激しければ激しいほど、なんというか、人間は歳を取り、次第に幸せになったり不幸になったいったり、まるで現在とは違う環境に放り込まれたり、そういう風に変わっていくからこそ、「生きている」のだなあ、としみじみ感じる次第であります。この「生きている」という感じ、物語の登場人物をまるで実際に生きているかのように動かすことにかけては、本当に栗本氏の右に出る者はいないと思います・・・ああ、あと30巻くらいしかないなんて、信じられない!(笑)
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竹本健治「入神」
「ウロボロス」シリーズなどで本格ミステリ界において独自の地位を築いている竹本氏の、なんとなんと、入魂のコミックデビュー作である!・・・といっても、竹本氏がコミックを執筆されていることは割と有名だったので、本屋で見かけても「おっ、出たね」(笑)と思った程度で、そんなにも驚きませんでした。感想はというと、絵的にはお世辞にもプロほど上手とはいえない(それでも、一つの作品として鑑賞に耐えうるだけのレベルではあるのだけれど)。が、ストーリー的には、かなり手に汗握る、熱血囲碁漫画でした。いや、竹本氏、こんなにも囲碁に造詣が深かったのかと、心底恐れ入りました。自分は囲碁についての知識はまるで皆無だったのですが、それでもぐいぐいと引っ張っていく、このまだ構成の妙。見事です。なんか、この一冊で牧場くんの囲碁道が終わってしまう(いや、小説の方ではまだまだ続くのだろうけど、そっちはミステリで、囲碁だけの話ではないだろうから)と思うと、残念な気がします。
このように、本編のお話だけでも十分楽しめたのですが、この作品には新本格ファンのみなさまは多分周知の、あるお楽しみがあります。そう、綾辻行人さん、島田荘司さん、その他様々な作家さん、漫画家さんがアシスタントとして参加されているのであります。で、どの作家さんがどの部分に手を入れているか、というのは実に興味津々なのだけれども、実は自分にわかったのは、「水木点描」を入れているという手がかりが(メフィスト参照)はっきりしている、京極夏彦さんだけでした・・・うう、口惜しや。
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はやみねかおる「消える総生島」
はやみねかおる氏の名探偵・夢水清志郎シリーズ第3弾。万能財団が製作するミステリ映画に出演することになった亜衣・真衣・美衣は、鬼伝説が残る総生島にロケに行くことになった。駄々をこねて、一緒についてゆく夢水清志郎。だが、このロケの最中、様々な奇妙な出来事が起こり、あちらこちらで鬼にちなんだ奇怪なメッセージは発見される。消える山、館、人、そして島。これらの怪事件の背後に隠された真実とは――
いやあ、いいですねえ、やはり。この大仕掛けさがたまりません。あまりにも大仕掛けなので、児童向きの作品でしか出来ないトリックだなあ・・・と思いもしましたが、こういう奇想天外な謎こそが、ミステリの原点だと思うのですよね。それに、例によって伏線は縦横に張り巡らせてあるし。今回も、楽しませていただきました。事件の本筋そのものも面白かったけれど、今回はいつになくはやみねさんのミステリ好きというかオアソビというか、沢山散りばめられていて、それも楽しかったですね。総生島にある「霧越館」とか、夢水が部屋で読んでいる雑誌が「このミステリーがすごい」だったりとか、その他もろもろ。はやみね氏の、ミステリへの熱いラブコールが感じられる一冊でした。
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殊能将之「ハサミ男」
美しい少女の喉にハサミを突き立てる連続殺人鬼、通称「ハサミ男」。新たな獲物としてマークしていた少女は、自分の手口を真似た方法で殺され、その犯行は「ハサミ男の第三の犯行」として報道される。「ハサミ男」は、自分に罪を着せようとしている真犯人を探すため、捜査に乗り出すが・・・
第13回メフィスト賞受賞作。ここ数年のメフィスト賞はどうもキワモノ狙いのような印象があって、受賞作家のその後の作品もなんとなく敬遠してしまう傾向にあった。この作品のタイトルもなんとなくあざとすぎて、今回もキワモノではないのか?という疑いを捨て切れずにいたのである。しかし、座談会内で褒めちぎっていることプラス、実際に読んだ人たちの評判がKなり良いので、思わず手に取ってしまいました。良かったです!まず、「自殺願望者」にして「多重人格者」にして「シリアルキラー」という凄絶な設定を、極めて冷徹に、地に足のついたペースで描いているのが良い。設定だけ見たら、なんだかサイコサスペンスの面白そうなところだけ取ってきたような印象を受けるんですが、それをちゃんとリアリティ持たせて上手に料理しています。これは、生半の腕で出来ることではないと思いますね・・・・で、終盤まで、「ハサミ男」の奇妙な魅力と捜査側の地道な捜査でストーリーが進んでいき、「法月氏が推薦文書いてるのに、本格じゃない?(笑)」などといぶかしく思っていたのですが、最後はしっかりトリッキーにまとめてくれました。よくあるパターンといえばパターンな
ので、「やられた!」という騙されの快感はなかったものの、「ほう、そう来たか(笑)」という思わずニヤリとする楽しさはありました。
メフィスト賞として、一つの傑作であることは間違いないのですが、座談会での言葉を借りてきて一言だけ注文をつけ加えるなら、「とてつもなく高い山、とてつもなく深い谷は見当たらない」ってとこでしょうか。主人公のキャラクター造形は出色の出来ですが、なんかこう、展開にもうひとひねり欲しいというか・・正直、終盤まで来たときは、「えっ、もうおわっちゃうの?」と思ったし。地に足が着いている分、こう、なんだかおとなしすぎた印象というのがあるのですよね。まあ、そこがリアリティを生み出すもとになったとも言えるので、ここらへんはどちらがいい、とは一概に言えないと思うのですが・・・ですが、総合評価はやはり高いです。次回作はどう来るのか、今からわくわくしてます!
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グリン・カー「マッターホルンの殺人」
元イギリス秘密諜報部員にしてシェイクスピア劇の俳優兼監督であるアバークロンビー・リューカーは、かつての上司サー・フレデリックから、フランスの人気政治家レオン・ジャコの今後の思想的動向を探るという密命を受け、ツェルマットに飛ぶ。だが、彼の真意を探り出す前に、ジャコはマッターホルンの単独登頂中に死亡する。しかも、彼の死は事故ではなく絞殺であったことが判明し、リューカーが捜査に乗り出すのだった。
各方面で「隠された本格の名作」「山岳ミステリの傑作」という声が聞こえるこの作品、早速読んでみました。感想はあっさり言うと、「うーんどうなんでしょう(汗)」という感じ(笑)。山岳ミステリというものを自分がそもそも読んだことがないので、どういうのが良い(或は悪い)山岳ミステリなのか、判断はできないが、自分はあんまり山岳というものに興味がなく、マッターホルンやその周辺の地理についても、知識がほとんどない。だからだろうか、緻密なアリバイ崩しから成る本作のストーリー展開が、どうもイマイチ頭に入らず、そしてまた山岳の魅力を感じることもできず、なんだか中途半端な心理状態のまま読み進んでしまった。トリックもまあ、別に悪くはないけれど、「それだけ?」という感じしか抱けなかったし・・・自分的に言えば、どうも不作だったとしか言い様がない。が、思うに、この作品はやはり読者を選ぶ作品だったのではないだろうか。山岳やヨーロッパの自然に関心や知識があり、場面場面をちゃんとイメージして、頭の中で地図を描ける人。そういう人でないと、楽しめない作品なのだと思う。そして自分は、そのどちらの事項にも適していなかった、という
ことであろう。だが、そう心の中で弁護してみても、どうも納得がいかない部分があるのも確か。そもそも、探偵役のリューカー氏のキャラそのものが、どうも中途半端な気がして好きになれない。シェイクスピア劇の俳優、という設定は言うまでもなくエラリー・クイーンの創造したドルリー・レーンを連想させてしまうが、まあ、彼に比べるとなんともお粗末な探偵さんで、レーンは長年触れたシェイクスピアを通じて人間の暗黒面などにも通暁し、老練な推理を展開し、時に劇の台詞を引用しつつ我々を引きつけるわけだが、リューカー氏のキャラはどうにも名探偵というには推理も洞察も甘く、捜査過程も地道なアリバイ崩しに徹していて、別にこの程度の推理力なら素人探偵として事件解明に乗り出してこなくても良いのでは?と疑ってしまうのだ。人間的・性格的には、優しく紳士的で気さくで、決して魅力がないワケではない彼なのだが、探偵役として怪事件の中に読者を引っ張っていくにはあまりに未熟すぎると思う。まあ、これはレーンという偉大過ぎる先達がいるから損をさせられている、ということでもあるのだろうが、それならば損をしない方法で名探偵を創造して欲しかったなあ、とい
うのは自分の個人的希望(汗)。せっかく各方面でお勧めされているものに泥をはねかけるような感想になってしまったが、やはり小説にも個人によって向き不向きがあることだし、許していただきたい。
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浅黄斑「轟老人の遺言書」
莫大な遺産を持つ大阪天神橋の元呉服商、轟老人の遺書は、意味不明な文字の羅列や虫食い枠ばかりの、奇妙な暗号となっていた。欲の皮を突っ張らせて遺書を開いた遺族達は、慌てふためく。過去に偶然老人と知り合った弁護士は、図書館に通うことが唯一の日課だった彼の生前の趣味から、暗号解読に挑む(表題作「轟老人の遺言書」)。
人皮本、魚類生態学、難読地名など、ペダンティックなテーマを縦横に料理した「奇想推理コレクション」と銘打った短編集。
浅黄斑さんという作家さんは自分にとって、日ごろ読まないし手にも取らない(目には入るけど・・・ペンネーム珍しいから)、守備範囲外の作家さんでありました。それを不意に手に取ってしまったのは、「奇想推理コレクション」という看板と、そのテーマの珍しさでありましょうか。とりあえず結論から言うと、面白い短編集です。しっかりとした土台のある、大人の世界の本格推理、という気がします。「奇想」と銘打ってはいても、世界観はきわめて堅実、事件も推理も探偵役も、みんな真面目な、リアルな人間です。そして、しっかりとした謎解きがなされ、しっかりとした結末が訪れます。特に、死んだ息子の定期券が落とし物として届けられる、という不可解な出来事から展開される「息子の定期券」などは、出色の出来だと思います。そう、たしかに面白かったのです。が、この短編集を最後まで読んでみて、自分自身の問題として明らかに分かってしまったことが一つ。自分はつくづく、「リアルな小説」とか「リアルな人間」とか、「堅実な謎解き」ということに興味がない人間なんだなあ、と。無論、小説というものはどんなジャンルであるにしろ読者にその世界の存在感をいかに伝
えた上で、いかに面白い物語を展開するかに、読者が楽しめるかどうかの鍵が握られてるワケで、リアリティというのは絶対不可欠なモノなはずなのだけれど、それはそれとして、自分が見たいのはやはり奇抜なトリックであり、魅力的な登場人物であり、血湧き肉躍るストーリー展開なのだなあと。そのあたりのどこにでもいそうな人間が、いつどこで出会ってもおかしくないような、世間の常識範囲内で展開するようなお話は、自分にはどうやら向かないのだなあと。しみじみ感じました。ですから、この短編集を読んだ限りでは、もう余程誰かが薦めてくれたとかいう事でもない限り、この作家さんの作品は守備範囲外のままにしておくだろうなあ、と。こんな好みの自分は、きっと子供なのでしょう。それならそれで、別に自分はいいと思ってますが。
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栗本薫「タナトス・ゲーム」
ある日、名探偵伊集院大介のもとに、彼と彼の助手(?)アトムくんの二人が濃密に絡み合ういわゆる「やおい小説」が書かれた同人誌が送られてくる。今まで想像もしなかった事態に度肝を抜かれるD大介だが、何故女性たちがこのようなテーマを愛するのか、ということに興味を持ち、送ってきた相手・鳴海礼子やその同人仲間たちと交流を深めるようになる。折しも、彼女たちが出入りしているインターネットサイト「薔薇庭園」で、そこにアクティヴに参加していたメンバーが次々と姿を消す事件が起こり、伊集院大介は相談を受けることになる。やがて、彼女たちの間で神格化されていたやおい漫画家・片桐紫織里が仕事場で死体となって見つかる事件が起こり、事態は混迷を深めてゆく。「やおい」というテーマが秘める隠れた深層心理が静かに横たわるこの奇妙な事件に、伊集院大介はいかなる解決をもたらすのか?
言うまでもなく、栗本薫氏は「中島梓」というペンネームの評論家としても著名であり、その最近の著作に「タナトスの子供たち」というのがある。これは「やおい」という行動に走る少女達の深層心理、それが蔓延する社会構造を具体的に解剖して見せた力作で、かなり話題にもなったので、ご存じな方も多いだろう。この「タナトス・ゲーム」は、「タナトスの子供たち」をそのままミステリに移し替えたもの、と捉えて差し支えないだろう。ここ近年は、奇想天外な怪事件というより、深い人間洞察に基づく、サイコ・サスペンス的要素の大きな事件を解決するようになっていた(「天狼星」は奇想天外だけど)伊集院大介であってみれば、この流れも不自然なものではない。しかしながら、「推理小説」として見ると、ちょっとルール違反な部分も多く見受けられ(解決部分になって「実は〜さんに〜について調べてもらったら、こうだったんです」という説明がやたらと多い。つまり、解決に至るまでに伏せられている手がかりがあまりにも多すぎる)、まあ、栗本氏の目指すものは犯人あてのパズラーではなく、深い人間心理の奈落をのぞき込むことにある、というのはなんとなく分かるので、こ
れはこれでいいのだと思う。しかし、その人間洞察にプラスされて横溝や乱歩、クイーンやカーばりな妖しい本格の薫りの漂う事件も読んでみたいなあ、と思うのは、初期の伊集院大介ものからの読者である私の我が儘です(笑)。あとは、ストーリーそのものは決して悪くないが、ずいぶんと「やおいとタナトス」に関する講釈に分量が割かれているのが少し気になった。たしかに作品内で使うにしてもひとことで済ますことのできない問題なのは理解できるが、これほど長々と語ってしまっては、果たしてこの人の書きたいのは論文なのか小説なのかという気分にさせられる。そして論文としては、既にこの著者には「タナトスの子供たち」というれっきとした著作があるのだから、ここで再度述べ立てなくてもよいのではないか、と思うのである。
ともあれ、細かく見ると問題点もあるが、そうであろうとなかろうと、読者に一気に読ませてしまう筆力は健在。伊集院大介の個性も例によって際立っているし、「大傑作」ではなくとも、世の凡作の中に埋めてしまうべき作品でないのは確かであろう。
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島村菜津「エクソシストとの対話」
キリスト教社会の中で独自の立場を持つ「公式エクソシスト(悪魔祓い師)」という職業について、きわめて現代的な視点でリポートしたノンフィクション。主に、カンディド神父という一人の伝説的なエクソシストの生き方を、その証人達の言葉から探り、そこから現代における「悪魔祓い」という行為の意味を探る。映画「エクソシスト」の影響で、やたら神秘的・オカルティックなイメージでとらえられていた「エクソシズム」という行為。それが決して絵空事ではなく、現実に行われている(勿論、「悪魔に憑かれた」として相談してくる人々がいるのである)という事実にも驚かされるが、決して何もかもを悪魔のせいにして迷信のヴェールに包むのではなく、現代医学や科学との連携をとりつつ、「本当の悪魔憑き」と地道に取り組み続ける現代のエクソシスト達の姿が、何より新鮮に写った。そしてまた、この本の筆者が語る「癒しとしてのエクソシズム」という概念も、なかなか頷ける。「悪魔憑き」という現象の正体が何であるか、筆者はこの本の中では結論づけていない(そう簡単に出来ることでもないだろうけど(^^;))が、少なくとも「悪魔祓い」という行為が決して無意
味なものではなく、だからこそ現代まで生き残ってきたのであることにとても納得させられる。どんな信じ難い出来事も、先入観を取っ払って澄んだ目で見つめること(迷信に惑わされるのでもなく、科学盲信に陥るのでもなく)の大切さに気づかされる一冊。
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T・S・ストリブリング「カリブ諸島の手がかり」
アメリカの心理学者ポジオリ教授が休暇旅行先のカリブ海の島々で出会う、奇妙な事件の数々。「人の心を読む」と噂されるブードゥー教の司祭との対決を描いた「カパイシアンの長官」、トリニダード島のヒンドゥー寺院で夜を明かした教授が出会う超論理の犯罪「ベナレスへの道」など5編を収録。
帯やカバー、解説に「超論理」「超本格」という言葉がやたら使われているので、どんなものかと思いきや、どちらかといえば論理や本格的な謎ときはあまりなされていなかった。「超」というのはどうやら、「そういうのを逸脱している」という意味合いだったようで・・・(^^;)解説にもあるとおり、どちらかといえば幻想小説として読んだ方が趣がある場合もある。で、一編、また一編と読み進んでいて、やはり謎ときやトリックはあまり印象に残らず(犯人や真相はそれなりに度肝を抜いてくれるが)、カリブ諸島の生活の描写とか、登場人物の個性(「カパイシアンの長官」の長官ボワロンの英傑ぶりには感動!ポジオリより余程存在感があった。この話のポジオリは狂言回しにしか過ぎない)などに心を奪われていた。しかし、最後に収録されている「ベナレスへの道」のラスト一ページには驚愕!!!何故このポジオリ教授ものが傑作として読みつがれてきたか、心底納得した。ネタバレは避けたいと思うが、まさに「魂」の犯罪であったこの事件は、ああいう結末でなければ解くことはできないのだ。今まで読んだどの本格とも違う、「超本格」の妙味、しっかり味あわせてもらいました。
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石ノ森章太郎「人造人間キカイダー」
言わずと知れた伝説の特撮ヒーロー、キカイダー。先日たまたまホビージャパンという模型雑誌で関連の記事が載っていたのを見て不意に懐かしくなり、また、よく考えると原作はまだ一度も目を通してなかったのに思い当たったので、読んでみました。単純に嬉しかったのは、ホビージャパン誌で連載されている「キカイダー00(ダブルオー)」の主役、00が既に登場していたこと。キカイダー、01、00、ビジンダー、そして腹に一物あるハカイダーが勢ぞろいでシャドウに挑むところなど、ゾクゾクさせてまらいました。総合的な感想を言うと、やはりTV版よりはかなりズッシリ来るなあ、というところか。あのラストなどは、なんとも悲劇的かつ皮肉で、ヒーローという存在は実はヒーローであるその時点で人間社会から見ると鬼子であり、最後に幸福に到達することなど、そうはありえない、ということを教えてくれる。なあんて、こんなこと今更言わずとも、石ノ森氏のヒーローものの根底に共通して流れるものであるのだけれど。特にキカイダーの場合、主人公が全くの非人間=ロボットであるということ、そして人間に近づきたいと願っていることなどから、人間自身にもその存在が
果たして幸福となりうるのかどうか、を問いかけてる気もします。いや、胃にずしっとくるコミックでした。
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ハラルト・シュテンプケ「鼻行類」
1941年、日本軍捕虜収容所から脱走した一人の兵士が漂着した、ハイアイアイ諸島。そこで発見された、「鼻で歩く」という驚くべき特徴を持った哺乳類、「鼻行類」が発見された――本書は、その不思議な生き物の生態について事細かに記した奇書である。
Enigmaさんのオススメによって手に取ってみたのだが、いや、実際面白いのです。この「鼻行類」という種類の動物、実際に存在するのか(或は「存在した」のか)、全く確認は取れていません。そして、世間の評価としてはそのあまりに突飛な生態故に「これらはタダの空想の産物である」とする意見の方が大勢を占めています。しかし、この本の内容が生物学的に見て、あまりにも詳細で真実味を帯びており、学術的な意味で矛盾が少ないのは、どうやらたしかなようです。・・・といっても、自分は高校時代、理数系科目が赤点で全滅だった人間なので、本当にこれが学問的に理にかなった内容であるのか、判断することは出来ません。実際、中の記述のうち専門的と思われる部分については全くチンプンカンプンでありましたし(^^;)でも、奇妙キテレツ・かつバラエティーにとんだ「鼻行類」たちの生態はもう、ただ普通に読んでいるだけで面白かったですし、これらが空想上の産物だとわかっていても、「どこかに生きていそうだなあ」と思わせる存在感に満ちあふれています。そうですね・・・きっと、こんな生き物地球上にはいないんでしょうね――多分。でも、いても不思議じゃない、昔い
たとしても不思議じゃない。きっと誰も見たことなくても、どこかで生きているんじゃないかな・・・そんな風に空想してみて、楽しみました。そういう意味では、文章や形式こそ学術論文ぽくてとっつきにくいけど、そんじゃそこらのよりずっと良くできたファンタジー作品だといえるかも知れません(^^)。とにかく、これらが空想上の産物だとしても、ここまでリアルに緻密に想像できれば、立派です。人間の想像力ってスゴイな、と素直に感動しました。
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天童荒太「永遠の仔(上・下)」
優希、笙一郎、梁平の三人は、それぞれに親から虐待された心の傷を持ち、四国にある双海病院の小児精神科病棟に入院していた。その十二年後、看護婦、弁護士、刑事となって生活していた彼らはふとしたことから再会する。彼ら三人には、退院記念に保護者と登った霊峰・石鎚山で、救いを求めて「聖なる犯罪」に手を染めた過去があった――そして彼らの身辺で起こる様々な事件。放火、優希の弟聡志の失踪、連続殺人。己の傷口と対峙する地獄の日々の果てに、真の「救い」は訪れるのか。
みなさまご存じ、ベストセラー街道爆進中のこの大長編。軽い気持ちで手に取ってみたのだが――
涙が止まらない。
親という本来であれば己の存在を無条件に肯定してくれるはずの相手から愛されず、己自身をすら愛せなくなった彼ら。その傷つきボロボロになりつつも愛したい、愛されたいと願う姿が、あまりに可哀相で。だが、彼らを虐待した親自身も心の傷を抱え、己もまたかつて虐待された経験を持っていたりもする。己の傷に耐え切れず、最も己に近しい者――自分の分身であるわが子に救いを求め、そのあまり、傷つける。その様はまるで無限ループのようだ。痛みが痛みを呼び、悲しみが悲しみを呼ぶ。そう、この長い物語は最初から最後まで、魂・肉体両方の痛みと叫びに満ち満ちている。虐待の描写も、登場人物達の姿も果てしなくリアルで、その痛みは読み進めば読み進ほどこちらに伝染してくるようで。とても、涙なしに読み続けることが出来ないのである。そしてラストシーンではもう、涙でページが見えない・・・どころか、声をあげて泣いてしまいましたよ。(笑いたければ笑っていいですよ。最後まで読み終えて何も感じない人には一生、人の、生きることの、愛することの悲しみなんかはわかんないだろうしね。
)そう――まさに、この最後の数行で示されるほんのちょっとの救いこそ、この絶望の塊のような物語の中で、パンドラの箱から出てきた小さな希望のように示されるこれこそを、きっと我々は求めて生きているのだろう、と思った。たった一言のその「赦し」を。
なんだか抽象的だが、この物語の感想を冷静に書くなんてこと、ちょっと自分には出来そうにないので、これでお許し下さい。まあ、一つだけ、ほんの一つだけ難を言うなら、最後の真相に行き着くまでのもっていきかたがややフェアではないというか、ミステリとしてはどうかなあ、とは思うが。そんなのは些末時に過ぎない――このあまりに圧倒的なドラマの中では。
しかし、これだけ褒めちぎっておきながら、あんまり人に「読め!」と言う気分ではありません。あまりに痛々しいので。「可哀相なのはダメ!」という方はやめておいた方がいいかもしれないです。
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池井戸潤「果つる底なき」
大手銀行の支店で融資担当を勤める私――伊木。彼の友人である回収担当の男・坂本が、アレルギーの発作で急死する。その死の影には、半導体企業への融資をめぐる暗い秘密が――
98年の江戸川乱歩賞受賞作。乱歩賞獲得作品の傾向として、ある職業の人が書いたその業界が詳しく書かれたミステリ、というのがあるが、今回もその例の一つ。銀行マンが書いた銀行についての小説である。真正面から「社会派」!と叫んでるような作品で、本格っぽい謎ときやトリックは一切登場せず。まあ、ストーリーはそれなりにおもしろい。銀行の融資のことについてもそれなりによくわかるし、勉強にもなる。ただ文句を言うとすれば、この「特定の業界について詳しく書く」という方式は、既に真保裕一というスゴイ先達がいるだけに、どうしても見劣りしてしまうなあ、と。銀行のことを舞台にしてるという以外に特別なウリがあるかといえば(真保作品に勝てるような、という次元の)、ちょっと見当たらないし、なんだか中途半端な感じなのは否めない。とりあえず、この人が次回作で何を書くのかが気になります。今回は自分の土俵で勝負できたから賞を取れたのだと思いますが、この次勝つために、まったく別の路線を開拓するか、更に金融関係で責めるのか――どういう選択肢をお取りになるのか。楽しみです。でも、受賞の挨拶からは本物のヤル気を感じます。次回作も読みた
いです。はい。
あ、あと、些細なことですが、最初出てきた刑事が「回収ってなんですか??」と銀行の人間に聞いているシーンがとても気になります。住専やら銀行の破綻やなんやかやの話題があふれている昨今、「回収」の意味も知らないなんてのは、一般常識を知らないとしか思えません。小学生以下です。そんな人が普通の刑事にいるとは思えません。不自然です。その事柄について詳しく説明するためのシーンだとは思うのですが、あんまり読者を無知だと決めつけ過ぎてやしませんか?
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辻真先「宇宙戦艦富嶽殺人事件」
新進推理作家の牧薩次は、書き下ろしの依頼を受けて取材のために神戸へ。六甲大学が製作した自主上映アニメ「宇宙戦艦富嶽」を見るためである。ところが、上映寸前に学生ホール近くの石段で製作メンバーの一人、三千子が墜落死する。そして、その騒ぎの間に、「富嶽」のフィルムが何者かによって盗まれたのである。そして始まる連続殺人に、薩次とその恋人キリコが挑む!
Enigmaさんのオススメがあったので、早速手に取った本であります。以前から辻作品は読んではみたかったけれど、あまりにも作品数が多すぎてどれからにしたらいいだろう・・・という感じだったので、ちょうどよかったです。正直な話。
で、感想ですが、いや、スタンダードに本格推理しているし、トリックもなかなかにシンプルかつ大胆で、なかなかに楽しめました。謎ときだけでなく、この作品が書かれた当時のアニメ業界の事情が事細かに書かれていることなど、アニメの脚本を手がけられた辻氏ならではの蘊蓄で、おもしろかったし。で、「富嶽」上映会で同時上映される有名作品が全部辻氏脚本のヤツだったり、いろいろお遊びも入ってるし(^^)最後のさりげない仕掛けも結構ツボにはまってしまったし。なんか一冊で二度も三度もオイシイ思いをさせてくれる作品でした。しかし、この薩次とキリコのシリーズ、ソノラマ文庫ネクストで今後も復刊していってくれるんでしょうか。もししてくれたら、集めてしまいそうですね・・・数が多くてキリがなさそうですが(笑)だからちょっとだけ敬遠してたのに(笑)>辻作品
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はやみねかおる「そして五人がいなくなる」
少女の家の隣にこしてきた、ものぐさでたよりないさえない男、夢水清志郎。彼は自らの職業を「名探偵」と名乗る変人。おりしも、新聞で「天才児」として紹介された子どもたちが、遊園地で次々と姿を消す。一人は舞台の上の箱の中、マジックショーの最中、一人はジェットコースター上で、一人はミラーハウス、もう一人は蝋人形館で――犯人は「伯爵」と名乗り、声明通りに子どもたちを消してゆく。果たしてその目的は?夢水清志郎はこの謎を解けるのか?
児童書として出版されながら、ヤングアダルト層ばかりか、本格ミステリを愛する大人たちの間でもブームとなっている、はやみねかおるの「夢水清志郎」シリーズの第一作。以前から気になっていたのですが、とうとう手を出してしまいましたよ(笑)
果たして結果は、これは人気が出るはずだ、と思いました。不可能状況の中で次々と姿を消す子どもたち。「伯爵」と名乗る怪人からの挑戦。これはこれはまさに、昔小学校の図書館で読みふけった、少年探偵団のノリではありませんか!しかも、ちゃんと張り巡らされた伏線、骨格のがっしりした本格に仕上がってるとなれば、かつて和洋を問わず「名探偵」というものに憧れ、魅入られたことがある人なら、時を忘れてページを繰ってしまうのは必定。そしてまた、ショーシャンクも晴れてその一人となったのでありました。
真相そのものは、割と早い時期からわかってしまったけれど、それでも物語の運びが手慣れていてすごく滑らか、プラス名探偵夢水の奇妙な存在感で、退屈せずに読み切ってしまいました。優れた「推理小説」はたとえ犯人やトリックがわかっていようと最後まで読者を引き付ける力を持っているものだ、と思っている自分としては、このあたりはあんまり気になりません。トリックも実は、そんなに斬新かといわれればそうでもない気はします。しかし、そんな部分よりも、名探偵である夢水の優しさや、事件を巡る人々の心情がすごく心に染みて印象的です。
読み始め、最後のエピローグを読み終わるまで、少年の心に戻ることが出来た一冊でした。
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はやみねかおる「亡霊(ゴースト)は夜歩く」
亜衣・真衣・美衣の三姉妹が通う、虹北学園には、四つの奇妙な伝説があった。「時計塔の鐘は鳴ると人が死ぬ」、「夕暮れどきの大イチョウは人を喰う」、「校庭の魔法円に人が降る」、「幽霊坂に霧がかかると、亡霊がよみがえる」――そして、学園祭に向けて賑わう虹北学園に、時計塔の鐘が不吉に鳴り響き、数々の奇妙な現象が起こり始める。この怪事件解決に乗り出すのは、だらしないけど頭は切れる、名探偵の夢水清志郎!
はやみねかおるの夢水清志郎シリーズ第2弾。前回は遊園地、今回はなんと「学校の怪談」(笑)ネタ。本格の王道を激進してます。今回は、真相、トリックともに見抜けず。まあ、前回よりかなりプロットが複雑になっているので、当然といえば当然かもしれないし、トリックもかなり大がかりになっているし。怪奇ムードといい、トリックの奇想天外さといい、探偵の奇矯さ(笑)時折コメディタッチになるところといい、全体的にカーを彷彿とさせます。これらの謎ときのおもしろさに加え、今回は学園ドラマ調・ラブコメ?調の展開も織り交ぜられ、退屈させずに読者をひっぱってゆく手腕は前回に続き流石としか言いようがないです。犯行の動機には、なんというか青春の罠(笑)というか、中高生のころには誰もが突き当たる壁、そして大人になってもまた突き当たる壁が大きく絡んでいて、読んでいて切ないです。はやみねかおるさんの職業は教師だそうですが、職場ではどんな先生なのだろう?生徒たちとどんな風にふれあっているのだろう?とふと思いました。自分がこの作品から感じた切なさ、懐かしさ、そして「未来に生きろ」というメッセージその他もろもろ、それらから想像すれば
、はやみねさんは本当に職場でも素晴らしい先生なんだろうなあ。こういう先生ばかりなら、日本の教育現場も「学級崩壊」だのなんだの、ここまで荒廃する前になんとかなっていただろうに・・・と思ってしまいます。
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あんまり、「甘口」になってないかも?(^_^;)
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