四枚のタロット(3)


「それは困りました」
 まるで困ってもいない顔で楠は言う。
「ダイイング・メッセ―ジの意味はこれから考えなきゃならないのに」
「なんか……ダイイング・メッセ―ジじゃないと思った方が楽な気がしてきたぞ」
「でも、それだと犯人までの道のりが遠くなりますね」
「うう……」
 江田は、手負いの獣のような唸り声をあげた。
 楠はくすくす笑いを洩らしながら、
「まあ、焦っても仕方ないですから。ダイイング・メッセージの意味を推理するためには、ある程度、疑わしい人物の情報も必要ですよ。その辺りを詳しく説明してもらえませんか」
「そいつが、一番厄介なんだ」
 江田は嘆息する。
「この笠井求月という男、なかなかの憎まれっ子でな。はっきり言って、あまりにも恨みを買ってる人間が多すぎて、誰が一番動機があるのか分からない、ってのが実情なんだ」
「憎まれっ子は世に憚る……だから早めに殺した方が世のためだと思ったんでしょうか、犯人は」
 楠は言ってから、少々不謹慎だと思ったらしく、口を押さえた。
 だが、別に江田は気にした様子もなく、
「この男、ホテル暮らししたりテレビに出たり、芸能人の相談を受けたり、なかなか羽ぶりが良さそうだったが、案外そうではなかったらしい。過去に詐欺まがいの真似をして大金をせしめ、それを資本にして占いの店を建てたり、テレビ局に自分を出してくれるよう頼んだり、ようするに、別に占いが当たるから店が繁栄したんじゃないわけだ。関係者を聞き込みしてたら、あやしい噂が出てくるわ出てくるわ……」
「汲めども汲めども尽きない、悪事の泉……ですか」
「まあ、半分くらいは、笠井が荒稼ぎしてることに対するやっかみもあるんだろうがね、それにしても多すぎる。現にいくつかは、試しに調べてみたら本当の話だったしな。でな、そんな風にしてのし上がった男だから、有名人の顧客がついて、何か人生の岐路に立たされているような相談を受けても、うやむやに誤魔化すしか出来ないんだ。まあ、一応タロットカード並べて占ってる素振りはしてたみたいだが。だから最近は、だんだん客が減って、少しずつ、店の経営も傾き始めていたらしい」
 そんな相手に、取材しようとしてたのか、僕は。そういう人間を選んだ二宮に少し呆れて、僕はそっと溜め息をついた。
 江田は、再び手帳をパラパラめくると、
「まあ、どこまできみの判断材料になるかはわからんが、ごく最近、笠井と目立ったトラブルを起こしている人間をピックアップしてみるか」
「お願いします。流石に、動機のある人間を全員当たっていたら、日が暮れてしまいそうですから」
 江田は頷いて、早速話し始めた。
「まず、栗山証券の社長、栗山宗二郎」
「栗山証券?」
 僕はぎょっとして聞き返した。栗山証券といえば、経営破綻寸前との噂が流れる、国内最大手の証券会社の一つだ。
「そう。経営の方針に関して、色々と笠井の指示を仰いでいたんだと。ところが、言う通りにやったらますます経営が悪化してしまった。ここ数日、度々笠井の店に現れ、責任を取れとがなりたてていたそうだ」
 そんな大会社の社長でありながら、占いなんぞに頼ろうとするのが悪いのだと思うが。
 江田は続ける。
「二番目。彼の弟である、笠井宮男だ。最近店の経営が思わしくなくなった求月は、弟のところに通って、金を無心していたらしい。宮男は、彼のやってきたことをよく知ってるから、勿論ビタ一文貸さなかったが、しまいの端には、笠井が雇ったと思しきヤクザから、脅迫電話がかかったりして、本当に気が気じゃなかったそうだ。あとは、笠井の愛人だった山殿麗美だな。彼女は笠井に出資してもらってスナックをやってたんだが、最近笠井が金を出すのを止めたので、さっさと見切りをつけて他のパトロンに移ろうとしてたが、笠井はよっぽど彼女が気に入ってたらしく、放そうとしない。それで、かなり笠井を邪魔に感じていたらしい」
「気になるのは、それくらいですか?」
「そうだな。最近という意味じゃ、滞在してるホテル側とも、支払いが滞ってる件でもめてるそうだし、彼が店を借りてるビルの管理者からは、立ち退きを要求されてたらしいし。まあ、そういう細かいのも挙げると、数限りないな」
「そうですか……」 
 楠は、また髪の毛を指先で弄び始める。 
「じゃあ、その3人のアリバイは?」
「栗山には、とても堅固なアリバイがある。彼は自社のビルで、役員会議に出席してたからな。会議中、一度も席を立たなかったことは、出席者全員が証言してる」
「あとの2人はどうです?」
「笠井宮男は、会社の同僚と一緒に、営業に回っていた。別に、あやしい素振りも、不自然に姿を消したりしたこともなかったそうだ。また、回った地域も、殺害現場からは遠く離れている。普通に考えれば、犯行は不可能だ。唯一アリバイを証明できないのが、山殿麗美だ。彼女は基本的に昼間眠って夜は仕事に出るという生活をしているから、あの時間帯には自分のマンションで睡眠中だったそうだ」
「なるほど。そう言えば、訊くの忘れてましたが、凶器に指紋は残ってなかったんですよね?」
「残ってたら、こんな苦労はしてない」
 江田は自嘲気味に笑った。
「どうだ?楠くん。この中に、犯人らしき人物はいるか?」
「うーん……」
 楠はひょいと小首を傾げて、
「成河さん、どうです?」
 いきなり話を振られた僕は、狼狽えて椅子から転げ落ちそうになった。
「そんなもの、分かるわけないだろ」
「そうですか、分からないんですか」
 楠の瞳に、からかうような色がうかんだ。
 それを見て、僕は彼がとっくに犯人および事件の真相に辿り着いていることを悟った。 
 レースにおいて、先にゴールに到達してしまった者の余裕。彼の顔にうかんでいるのは、まさにそれだったのである。
「楠くん」 
 僕は、コホンと一回咳払いして、言ってやった。
「犯人が分かったのなら、いちいち勿体ぶらずに、早く謎解きをしてくれないか」
「何?もう分かったのか?ってことは、さっき挙げた3人の中の誰かか?」
 江田さんが、興奮して跳び上がる。
「誰なんだ一体?やはり、アリバイがない山殿麗美か?」
「まあまあ、落ち着いて」
 楠はころころと無邪気に笑うと、
「まあ、大体の見当はつきました――が、それをお二人に納得していただくため、いくつか確認しておかなくてはならない事がありますから」
「何だ?私が知っていることなら、何でも言うし、何でもするぞ」
 江田の目は血走っている。
 この二、三日、余程辛くて実りのない捜査をしていたに違いない。
 楠は人差し指をピンと立てて、
「じゃあ、まず、一つめ。シティライト・ホテルの支配人の名前を憶えていますか?」
「え……」
 刑事の目はまんまるく見開かれた。思いもよらない質問だったのだろう。
「さ……さあ?それはちょっと記憶にないが……なんなら、問い合わせてみようか?」
「ああ、それなら成河さんが確認してくれるそうです」
 いきなり指名されて、僕はまたも転がりそうになった。
「はあ?何で僕が?」
「事件解決のためですよ。善良なる市民は、警察の捜査に協力する義務があります」
「そりゃまあ、そうだけどさ」
「ごちゃごちゃ言うんなら今後、僕の取り扱った事件を小説にするのは止めていただきます」
 楠は、ぴしゃりと言った。この台詞は僕にとって、真剣を喉元に突きつけられたのに等しい。
 僕はいやいや立ち上がると、電話を手に取り、江田さんから電話番号を聞いてシティライト・ホテルに電話した。
 電話がつながると、江田さんの名前を使わせてもらって、先程の質問を投げかけてみる。
「支配人の名前は、森野陽助というそうだ」
 僕は電話をそのままに、楠に結果を報告した。
「おや、そうですか」
 楠は、ちょっと考えた後、
「じゃあ、フロント係か経理係の名前」
「はあ?」
「いいから、訊いてみてくださいよ」
 僕は、自分の声が上ずっているのを感じながら、そのとおりに訊いた。
「フロント係は3人、経理係は2人いるそうだぞ?」
「ふむ。じゃあ、苗字か下の名前がひらがなで2文字の人はいないか、と訊ねてみて下さい」
「……」
 僕は、ますますわけが分からなくなり、何故自分がこんな意味不明の質問をしなければならないのか、不条理感にさいなまれながら、それでもやはり
そのとおりに訊いた。
「フロント係に、佐護、ってのがいるそうだけど・・・って、僕と二宮くんが笠井の所在を聞きに行ったときに対応してくれたのは、この人だと思うけど」
「なるほど」
 楠の口元に、うっすらと妖しい笑みがうかんだ。
「じゃあ、あと一つ。事件発生日の、701号室から711号室までの宿泊状況を」 
 彼の言葉を聞く僕の顔が、余程苦渋に満ちて見えたのか、楠はふっと優しい目に戻って、
「これで最後ですから」
 と耳打ちした。
 なんとか最後の力を振り絞って、僕はその問いを受話器の向こうに伝えた。
「……705、すなわち笠井求月の部屋以外は、空室だったそうだ」
 やっと苦しい立場から解放され、僕は礼を言って電話を切った。
 楠は、パチリと指を鳴らし、
「了解しました。これで謎は全て解けた……なんて台詞使うと、どっかの漫画の主人公の真似をしてるみたいですが――ともあれ、犯人も事件のトリックも、分かりましたよ」
「ダイイング・メッセージの意味もか?」
「勿論」
 楠はウインクする。 
「江田さん、成河さん、犯人を捕まえに行きますよ」
「行くって……どこへ?」
「シティライト・ホテルですよ」
「はあ?」
 僕と江田は顔を見合わせる。
 楠はやれやれ、とでも言いたげにかぶりを振り、
「まだわかんないんですか?犯人はシティライトホテルのフロント係、佐護さんです。もしさっきの電話の内容が彼――か彼女か知りませんが、伝わってしまったら、逃げられちゃうかも知れない。急がなきゃ」
「なあ、なんでそうなるんだ?一体、ダイイングメッセージは……」
 おろおろと訊ねる江田を、楠は制して、
「今、必要なのは行動です。説明なら、犯人を捕まえた後でいくらでもしてあげますから。さ、行きますよ!」

(続く)

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