四枚のタロット(最終回)
シティライトホテルのフロント係――佐護義政は、あっさり犯行を自供した。
笠井求月は一カ月ほど前から、ホテルの宿泊料金を一切支払わなくなっており、おまけに周囲の客や女性従業員とのトラブルが絶えなかった。そのため、支配人から「早く叩き出せ」との指示が降っていたという。しかし、気弱な佐護はどうしても本人にそのことを言い出すことが出来ず、上司と求月の板挟みになって苦悶していたらしい。そして思い詰めた揚げ句、今回の犯行を決意したのだった。一見して意志薄弱に見え、現実逃避しようとしている人間は、その「逃げたい」という衝動に基づく行動において、何故か常人よりはるかに大胆不敵な態度を取ることがある。どうやら彼もその典型であったということらしいが、その他にも求月自体が日頃から、彼にも大変尊大で横暴な言動をぶつけていたので、やはり潜在的に憎悪が蓄積されていた、というのもあるようだ。
彼はあまりテレビや新聞を読まないタイプで、笠井求月についても「有名な占い師」という以上の認識はなかったようだが、たまたま捜査員から彼の風評を聞いて、
――そんな悪人だったのか。じゃあ、殺された方が世のため人のためだったんだね――
と、うすら笑いをうかべて呟いたという。
このあたりは、実は自分や楠も同感だったりするのではあるが、だからといって人を殺していいという理屈にならないのは当然である。
「成河さんから死体を発見したときの状況を聞いた時点で、これはホテル内の人間の仕業であることは見当がつきました」
楠は、幼い顔ににっこりと満面の笑みをうかべた。勝利の笑み、というやつである。
「だからさ、楠くん」
僕は我慢しきれなくなって言った。
「焦らさないでさ、早く死体出現の謎解きをしてくれよ」
「ダイイング・メッセージもだ」
江田が口を挟む。
楠は指に巻きついた髪の毛をほどきながら、
「まあまあ、聖徳太子だって、10人の言うことを聞き分けることは出来ても、10の答えを同時に言うことは出来なかったでしょうから。物事は順を追って説明しないとね」
「じゃあ、まず死体出現からだ」
犯人も気になるが、僕にとっては、自分が遭遇した不可思議な現象という点で、こっちが優先順位が高い。
楠は江田の顔をうかがって、
「いいですか?江田さん」
江田は深々と頷く。
「犯人はもう逮捕してあるからな。ダイイング・メッセージの謎は後回しでいいさ。それより、佐護がどうやって求月を殺したかの方が気になる」
「よろしいでしょう」
楠は、また抽斗からタロットカードを取り出した。そしてランダムに11枚抜き取り、机の上に横一列に並べる。
「死体出現トリックの説明だろ?なんでタロットカードが要るんだ?」
楠は唇をちょっと尖らせて、
「手近にあるから使ってるだけですよ」
言いながら、カードの余白に数字を書きつけた。
701から、711までの。
つまり、この11枚のカードを、ホテルの廊下に並んでいた11のドアに模しているのだ。
「さて……」
細工が終わると、楠は僕と江田を代わりばんこに見つめて、
「笠井求月氏の部屋は、705号室でしたね?」
「ああ」
「二宮さんが間違ってノックした部屋は、707号室?」
「そうだけど」
「この11枚のカードを見て、何か気付くことはありませんか?」
僕は番号を書いたカードをじっと睨んだ。
しかし、僕の灰色の脳細胞は何も答えてくれない。
701から、711、11のドア、705と707――
「あ」
江田が、唐突に声を上げた。
「左右対称か」
「ご名答」
楠は艶然とほほ笑んだ。
「この11のドアの配置は、706号室を挟んで、左右対称に展開されています。本当はこんな偉そうに言うことでもなくて、ようするに奇数枚のドアがあれば当然、真ん中のドアから左右対称に並ぶことになります。これに番号を順番にふってやれば、あの廊下と全く同じ状況が出来上がるのです」
彼は、白い指先でカードをつまみ上げ、左から701、702と続くカードを逆の順番に入れ替え始めた。
「そもそも、なんで705号室と707号室を間違えるんですか?5と7は字面が似ているわけでもなければ、隣同士でもない。二宮さんも成河さんも、そんな全然違う数字を見間違うほど目は悪くなかったはずですよね?ならば、何故705号室を707号室だと思ってノックしたのか――当然、706を中心にして、室番のプレートが左右全く逆の順番に入れ替えられていたからだと思うのは、それほど飛躍した発想ではないでしょう?成河さんの話ですと、ここのホテルの部屋の並びは、妙に単調で、じっと見ていると距離感がおかしくなりそうだ、ということでした。そこに11ものドアが並んでいれば、余程慣れていなければ少々ドアの位置が変わっていても気付かなかったでしょうから。つまり、最初に成河さんたちが訊ねた部屋は、本当は707号室であって、笠井求月の滞在する部屋などではなかった。二宮さんは、ドアの室番を見間違えたのでも似たドアが多くて混乱したわけでもない、ちゃあんと、最初に訪れた部屋の位置を記憶していて、それを705号室だと信じて再びノックしたに過ぎないのです」
「なるほど……」
僕は、あのときの光景を思い出しながら、頷いた。二宮を馬鹿にした自分が、情けなく感じられる。結局、彼の記憶力が一番確かだったのだ。ノックする前に、室番を確かめなかった迂闊さはさておいて。 楠は、カードを重ねたり裏返したりしながら、
「凶行は、求月の暮らしていた705号室で行われました。プレートを707号室と貼り替えた後で。何故こんなことをしたのかと言えば当然、誰にも邪魔されず求月を殺害し、なおかつ死体の発見を遅らせるため。今でもかろうじて売れっ子の求月は、日中部屋を訪れる客も多い。かと言って、部屋から連れ出して何処かで殺そうにも、誘い出す口実もないし、日頃から多くの人間から恨みを買う求月のこと、用心して出てこない可能性が強い。それに、一緒に歩いている姿を見られるのもまずいし、殺して隠すのに適当な場所も思いつかない。というわけで、求月自身の部屋を最善の犯行現場であり死体の隠し場所とするために、このトリックが用いられたのです。そして求月を殺し、指紋など自分の犯行であることを示す証拠を全て拭い去った後、何食わぬ顔でプレートを元通りにしておく。その結果、成河さんの遭遇した死体出現、もしくは殺人現場出現という摩訶不思議な現象が起こったのですね」
楠はそこで、大きく深呼吸した。
「そして、こんな真似が出来るのは、ホテル内部の人間しかいません。廊下で堂々と部屋のプレートをいじりまわして怪しまれないのは、ホテルの従業員だけです。また、このトリックは、この11の部屋のどれかに別の客が入っていればご破算になりますから、これらの部屋が空室であることを知っている必要がある。この殺人は、最初から最後まで、ホテル内部の人間でなければ成し得ない事件だったんですよ」
「なあるほどなあ……」
僕と江田は、ただ感心するばかりである。
鋭い洞察力、あるいは、論理的思考の勝利、というところか。
だが、謎はまだ残っている。
「トリックは分かったよ、楠くん。あとは、あのダイイング・メッセージの意味だな。あれはやはり、犯人の名前を示してたのか?」
江田の問いかけに、楠はにこやかに頷く。
「勿論、そうですよ。僕にも、犯人がホテルの人間であることは分かっても、具体的に名前まで示すことは出来ません。ですから、犯人を特定するに当たっては、このダイイング・メッセージが大きな手がかりになりました」
「で……一体どういう意味だって?」
僕と江田は、彼にずっと詰め寄った。
楠はぺろりと舌を出して、
「実はこれもね。そんなに難しい事じゃないんです。あんまり一般には知られていないことなんですが、タロットの大アルカナ・カードは、ヘブライ語のアルファベットに対応してるんですよ」
「へえ……すると……」
僕は、頭の中で四枚のタロットを並べてみた。
『節制』『愚者』『女教皇』『悪魔』。
「そしてそれは、ある程度ではありますが、ローマ字のアルファベットにも置き換えられる。『節制』はS、『愚者』はA、『女教皇』はG。そして最後に、『悪魔』はO。ちゃんと並び方もそのとおり、『サゴ』ってね。簡単でしょ?」
「ああ……」
僕は楠の博識に感嘆すると同時に、あの延々それぞれのタロットカードの意味を説明させられたのは、一体なんだったのだろうと考えた。
楠はそんな僕の胸中を察してか、
「成河さん、江田さんも、今日は一緒に飲みに行きましょうよ。僕のおごりでいいですから。ね?」
悪戯を叱られた子供のような目で、僕を見上げた。