渦と滴


 昨日までの私は、老衰という名の鎖でベッドに縛り付けられた、いつしかただ長く生きていることだけが存在意義になってしまった、一個の生きる屍に過ぎなかった。
 格別にそう望んでいたわけではないけれど、日々を淡々と過ごすうちに、いつしか一世紀を超える時間を生きてしまった。
 格別に急いで死にたくもなかったので、何となく医者の言うことを素直に聞いているうちに、こんな年齢になってしまった。
 こんな非常事態にでもならなければ私は、そのままあと何年か、チューブから流し込まれる種々の薬液に生かされ、おそらくは生命線の最後の一分一厘を使い果たしたところでぽくりと、天に召されるのが運命だったろう。
 と、いうよりは。
 どの時点で自分が生きていて、どの時点で自分の命が終わってただの物体に過ぎなくなるのか、それすら自分自身では判断できないほど、私は老いさらばえ枯れ果てていた。
 ところが、今は。
 私は、子どもの頃に読んだ少年雑誌のSF漫画に登場したロケット宇宙船――水滴のマークを横に寝かしたかのような形の兵器に乗せられ、得体の知れない敵と対峙している。
 私の、本来ならば生きているかどうかの判別さえ微妙な肉体は、全身の生体組織を活性化させるナノマシン――こんな技術の存在も、昨日までの私は知るすべもなかったわけだが――を存分に注ぎ込まれ、少なくとも50年は若返り、鋭敏化された身体機能と頭脳を取り戻していた。既に限界以上に生きて弱り切った肉体に、こんな無理な改造だか強化だかを行えば、そう長い時間を待たず崩壊することになる。無論、十分すぎるほど生きた自覚のある自分の命など、惜しくもなんともないが――このような老体に先端科学の粋をねじ込んで無理矢理動かす意味は、今、私の目の前に傍若無人に浮遊していた。
 蒼穹の中心部を、ぽっかりと空いた奈落のように塗りつぶしている鈍色の球体。
 世界中を混乱の坩堝に陥れ、人類を消滅の危機に立たしめている、その存在と、私は今から闘わねばならないのだ。
 この存在に何かの意志があるのかないのか、そもそも生命体なのか無機物なのか、それとも人類の遠く及ばぬ超科学のもとに創造された兵器なのか、さんざ世界中を蹂躙されたこの段階に及んでも全く判明していない。
 ただ、はっきりしているのは。
 この球体が発する、奇妙な光の帯に触れた生命は、次第にそのこれまで生きてきた「時間を奪われ」てゆく。
 そして幾度もその直撃を受けようものなら、最後には生命の根源たる一滴、魂の宿る以前の種子に還元され、そのまま無に還ってしまうのだった。
 どうやら、人工物や無機物はこの光線の影響を受けないが、どんなに堅固な壁や装甲に守られていても、光線はそれを透過してその向こう側にいる生命体に影響を及ぼす。
 つまり、どんな強力な兵器を使用しようとも、人間が搭乗して操縦する性質のものなら、中の操縦者の方が先に死ぬ――いや、無に還る。
 ならば、遠距離からミサイル等で攻撃を行えば良いのだが、この物体の周囲には広範囲にわたって特殊な磁場で覆われているらしく、いくら照準を合わせても狙いが逸れ、命中させることができないのだ。
 つまり、この物体への攻撃手段は、近距離からの直接攻撃しかない。
 そこで、この攻撃に対して長く持ちこたえることができる、長生きな人間をパイロットにした戦闘機で、出来る限り接近してミサイルをぶち込む、という作戦が立案され――私に白羽の矢が立ったというわけだ。
 私は、家族が私自身の意志など全く確認などせずにサインした承諾書を根拠に担ぎ出され、どうやら人類最後の希望として作られたらしい兵器に乗せられて、今飛翔している。

 全ての生命を無に帰さんと世界中の空を漂い続けるこの物体は、「全ての生命を呑み込む巨大な渦」という意味から、「メエルシュトレエム」と名付けられた。
 そして、私の乗る細長い濃紺に塗られた戦闘機の名前は、グングニルという。
 北欧の主神オーディンの持つ、全てを貫く槍。
 世界を呑み込まんとする渦さえ貫いて滅ぼしてくれようという、願いを込めて命名されたという。

 グングニルは、鈍色の巨球に向かって、ぐんぐん上昇していた。
 既に、幾度かミサイルを発射しているが、一度とて敵には命中していない。どの程度まで接近すれば磁場による影響下でもミサイルが敵本体に到達できるのかは――実はわかっていない。実際、それを確かめられる位置にまで接近に成功した人間は誰一人としていないのだから、当たり前といえば当たり前だ。
 私は、思わず舌打ちした。
(――まだまだ接近しないと、難しいのか)
 無論、最終の攻撃手段は特攻である。
 このまま果てしなく敵に接近していき、全てのミサイルを撃ち尽くして、それでも相手を殲滅できなかった時は――命中するまで手動で攻撃自体を誘導できる方法しか残っていないではないか。
 ナノマシンによって神経系が強化され、操縦法も深層意識に直接プログラミングされているとはいえ、所詮はただの老人だった私である。
 既に数度、球体からの攻撃を食らってしまっていた。
 しかしながら、光線を浴びれば浴びるほど、体の中には力がみなぎってくる。私自身が次第に若返り、闘志も体力も運動神経も、加速度的にアップしていっているのだ。
 正直な話、このグングニルのコックピットに乗せられたときは、こんな訳の分からない闘いに駆り出されたことにも何の抵抗もなく(理解も納得もしていなかったが、他に選択肢がないことは重々承知していた)、最後の手段として特攻があたりまえのように作戦に組み入れられていることにも、こんな老人一人が死んだくらいで世界が救えるのならと、むしろ光栄のように思ったものだ。
 だが、今。
 若々しい肉体を取り戻した私は、心底生きて還りたいと願っていた。
 ただ老い衰え、そこに横たわり宙を見つめる以外に何もできなかった毎日。
 この時間に至るまでの私の人生に、後悔や失敗がなかったかといえば――そんなことはあり得ない。
 基本的にそんな人間はこの世にいないのかも知れないが、それとは全くの別の問題にして、私の若かった時代には、やり直したい分岐、守れなかった何か、喪失につながる選択が数限りなくある。
 もし、出来るのなら――この新しい体をもって、何もかも忘れて、もう一度――無論、不健康きわまりない不自然な方法で身体能力を高めている私が、仮にこの闘いを生き延びた後にどれほど生きていられるのか疑問ではあるが――それでも、生ける屍のごとく言葉も忘れて眠りこけていたころには出来なかったことが、何か一つくらいはできるだろう。
 そう、例えば、遠い昔に私を置いて先に逝ってしまった妻、彼女の墓は今もちゃんと手入れされているのだろうか。
 助からぬ重い病に伏せった妻、その現実を受け入れられず、何もできず、ただ彼女の周囲を迷った子犬のようにくるくる回っているしかなかった私。
 何か、何か彼女に覆い被さる死の闇を払えるような言葉を何か、何かと考え続けて、結局何も思いつかず、ただうつむいていた私。
 そんな愚かで弱くくだらない私に、それでも、妻は――感謝の言葉を述べて、微笑んで、静かに逝ってしまった。
 せめて墓前で、ずっと胸の内で空回りし続けていた言葉を、全て吐き出すことができれば、私は――私は明日からの、そして昨日までの自分の人生を、少しぐらいは好きになれるだろう。
 私は――
 そこで私は、我に返り、ふと考えた。
 私の敵として、目の前に迫っているメエルシュトレエム。
 だが、この球体からの攻撃は、私に力を与え、生きる活力をすら取り戻させている。
 この存在は、本当に人類の敵なのだろうか…?

 コクピットの窓を、閃光が覆った。
 直撃を食らった。
 どうやら、ほんの一瞬の迷いが、咄嗟の反応を鈍らせたらしい。
 手足が縮んだ。鏡がないので自分の顔は見られないが、おそらく相当幼くなっているだろう。まだコクピットの座席から滑り落ちず、操縦桿を握っていられるところから考えると――おそらく今の年齢は13から14歳くらいか。
 何度か攻撃を食らってみてわかったが、一度光線を食らって奪われる時間は、15年前後が相場であるらしい。
 と、すれば、もう私は、次に一度でも直撃を食らえば、一気に胎児から受精卵にまで戻り――そのまま、誕生以前の虚無に還るだろう。
 生き抜く意志、闘志に目覚めたところに、いささか残念ではあるが――もう、勝利への選択肢は一つしか残されていない。
 もはや青空が全く見えないほど、メエルシュトレエム灰色の表面が私の視界を覆い尽くしている。
 ここまで接近しても、発射したミサイルはやはり命中させられない以上、残された攻撃手段は、やはりグングニルによる体当たり、特攻である。
 生きたかった。
 妻の墓参りに行きたかった。
(しかし、世界から人間がいなくなってしまっては、妻の墓に花を供えてくれる人もいなくなってしまうからな)
 私は、グングニルの速度を最大にまで上げた。

 衝撃はなかった。
 メエルシュトレエムの表面に到達した瞬間、あったのはただ光の海だった。
(もしかして、メエルシュトレエムの内部は、あの「時間」を奪う光線が充満しているのか?)
 だとすれば――私は、無駄死にだ。
 このまま、ただ敵を斃すことならず、ただ消え去るだけ。
 老兵は死なず、ただ消え去るのみ。
 だが、比喩でなく本当の意味で自分がそれを実践する羽目になるとは思わなかったが。
 体が、縮み始めた。
 10歳、7歳、5歳――全身の細胞が段階を踏んで瑞々しく新しくなっていくのと同時に、自分の全存在が小さく未熟に圧縮されていくのが分かる。
(墓参り、行きたかったな)
 だがしかし、後悔はない。あのまま、病院の薄暗い一角で朽ち果てるよりは、こうしてなにがしかの意味を与えられて死ねるのだから――その他大勢の犠牲者として消えていった人々よりは、ずっとましな死に方だともいえる。いや、厳密には死ぬわけではないが。
 死ぬのでなければ、あの世に行くのとも違うのだろうか。
 だとしたら、たとえ死後の世界があっても妻には再会できない。あんまりといえばあんまりな結末だ。
 私は、光の海の中で、ふと頭上に視線をやった。
 そこには――
(何故、こんなものが)
 そこに輝く粒子のようになって凄まじい数ひしめいていたのは、人間の胎児だった。
 縮み消えゆく自分とは反対に、少しずつ、ほんの少しずつではあるが、成長しているように見える。
 私は、細胞のひとかけらひとかけらが始源に還元してゆくのを感じていたが、同時に、魂はこの光の海に融けてゆき――その存在の意味を、意志を、言葉ではなく波動として、対話ではなく共有するように、自然に、染みこんでくるように理解しつつあった。

 この球体の中に満ちている大きな感情。
 それは、憐れみと後悔だった。
 おそらくは、地上に生まれた最初から現在までの、全ての生命の。 

 人間をはじめとするこの星の生命は、長い時を経て進化と滅亡と衰退と蘇生を何度も繰り返してきた。
 だがしかし、星そのものが力尽き、完全な荒廃に向かって突き進んでいく。
 誰が悪いわけでもない。何が特定された原因というわけでもない。
 だが、完膚無きまでに死滅する前に、全ての生命が、地球そのものの意志が、おそらくは「神」と我々が呼んでいるものと同一であろう力は、強く強く願った。
 最初から何もかもをやり直したい、と。

 全ての生命の時間を巻き戻し、原初の闇に返し、全てをゼロから始める。
 そのために、星そのものが生み出した、「再生」の意志――それが、メエルシュトレエムだった。
 やがて、メエルシュトレエムはこの星全ての生命を呑み込み、星そのものと同化する。
 全てが原始の混沌に還った後に、この胎児達――再生した命の種が、再び蒔かれるのだ。
 私は、融けていった。無色で無知で虚ろで、それが故に絶対的に優しい生命のスープの中へ。
 いつかこの星の時間がゼロに戻り、新たな命が時を刻み始めたとき、私たちはこの星中に散らばる。
 私たちが刻んできた今日と明日とは全く違う、新しい明日が、この星を祝福するのだ。
(もし、地球創世以来の全ての命が甦るというのなら)
(天国では妻には会えなくても)
 私は最後に考えた。
(地球が再び時を刻み始め、今と同じだけの年月が流れた後に、もう一度出会えるかも知れない)
 私の最後の一滴は、誕生を待つ輝ける胎児達の間に、ゆるやかに流れ落ちていった。

 次第に大きくなる新たな刻の鼓動が、私と、この星全ての生命を優しく包んでいった。
 この星の大地に新しい明日を迎えるのを、メエルシュトレエムは穏やかに待ち続けている。

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