「象と耳鳴り」(恩田陸)


・作品紹介
 「あたくし、象を見ると耳鳴りがするんです」
 退職判事・関根多佳雄は、博物館の帰りに立ち寄った喫茶店で、奇妙な記憶を口にする上品な老夫人と出会う。彼女が語り始めたのは、少女時代に彼女が英国で遭遇した殺人事件の話。ある日、一人で家にいるとき、象の鳴き声が聞こえ、見知らぬ男が全身の骨を砕かれて死んでいたのだという。それ以来彼女は、象が男を殺したことを知っている、自分を殺しにやってくるのではないかと恐ろしくなり、象を見ると耳鳴りがするようになったというのだが――
 少女時代の強烈な感情によって、ねじれた記憶の謎を関根元判事が解き明かす表題作他、関根多佳雄およびその息子・春が推理を繰り広げる短編集。必ずしも純粋な意味では安楽椅子探偵と言えない作品も含まれているが(「給水塔」などは町を歩きながら推理を組み立てていく)、どの作品もアクロバティックな論理展開、そして登場人物たちの、時にペダンティックな、時に逆説的な議論によってストーリーが進んでいく、という点では極めて安楽椅子探偵チックといえるだろう。そしてまた、著者は安楽椅子探偵、とりわけ「九マイルは遠すぎる」のような作品に惚れこんでいるようで、「待合室の冒険」などは、そのまんま「九マイル〜」と同じシチュエイション(近くにいた人物がさりげなく口にした言葉から隠れた犯罪を暴き出す)で構成されており、実際、作中の会話シーンでも「九マイル〜」のことが語られていたりする。このようなことから、粋龍堂でこの短編集を紹介するのは全く妥当、と判断して(笑)ここに取り上げることにした。

・作者について
 
恩田陸(おんだ りく)・・・1964年、仙台生まれ。早稲田大学卒。1992年、第3回ファンタジーノベル大賞の最終候補に残った「六番目の小夜子」でデビュー。以来、「球形の荒野」「不安な童話」「三月は深き紅の淵を」など、意欲作を次々と発表。1999年あたりから大ブレイクを開始し、「月の裏側」「ネバーランド」など、SF・ホラー・ミステリ、ジャンルにとらわれない広範な守備範囲の作品群を継続して発表し続けている。
 粋龍堂としては、是非関根多佳雄氏または春氏の活躍する、この短編集のような作品群が今後も生み出されていくことを期待したい。

・収録作品
 収録作品は全12編。(括弧内は初出)一つ一つはかなり短いが、その分洗練されていて、それでいて様々な魅力がぎゅっと凝縮された、贅沢な短編群である。個人的な好みとしては、「九マイル〜」を彷彿とさせる「待合室の冒険」、茶目っ気一杯の「机上の論理」、暗い虚空に不意に投げ出されるかのような不安感をつきつけられる「曜天変目の夜」あたりが印象に残る。また、推理の場所・形態もいろいろで、「待合室の冒険」などのように待合室(そのまんまや(笑))での議論で進んでいく話もあれば、作品紹介でもちらっと述べたが「給水塔」のように町のいわくつきの場所を歩きながら推理を展開する話、変わり種としては手紙のやりとりのみで話が進む「往復書簡」のようなものもある。全体的な傾向として、幻想味あふれる解決の作品が多いのも、魅力の一つ。
「曜天変目の夜」(「ミステリマガジン」1995年11月増刊号)) 
「新・D坂の殺人事件」(「青春と読書」1998年2月号))
「給水塔」(「小説non」1996年1月号)
「象と耳鳴り」(「小説non」1997年12月号)
「海にゐるのは人魚ではない」(「小説non」1997年6月号)
「ニューメキシコの月」(「小説non」1996年8月号)
「誰かに聞いた話」(「小説non」1998年7月号)
「廃園」(「小説non」1998年3月号)
「待合室の冒険」「小説non」1998年10月増刊号)
「机上の論理」(「小説non」1999年2月号)
「往復書簡」(「小説non」1999年6月号)
「魔術師」(書き下ろし)
 なお、書き下ろしの「魔術師」は、関根シリーズの長編として構想されたものだったという。


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