・「裏窓」VSウィリアム・アイリッシュ「裏窓」
サスペンスの名手、ウィリアム・アイリッシュ。
彼が原作を手がけている「裏窓」だが、今回原作となった短編を読んでみると、ヒッチコックが映画化にあたって原作のスリリングさを活かしつつポイントをおさえたアレンジを行っていることが、よく理解できた。
両者とも、ストーリーとしてはそれほど大きな違いはない。そして、「主人公が動けない」という危険な状況を、様々な伏線と小道具を用いて効果的にサスペンスを盛り上げている点も。しかし、その小道具の使い方や小道具そのものも、映画ならでは生きるもの、小説ならでは生きるもの、とそれぞれに最大限の工夫がなされているのだ。
あまりにもそれらの違いを具体的に書き過ぎると興ざめがするのでここでははしょるが、アイリッシュの原作の雰囲気は、映画より更に細かく、重々しい。じわじわと、信じたくない事実(裏窓からのぞく事のできる住人が殺人を行っている)が、一つ一つと信じざるを得ない手がかりが否応なく迫ってくる様が、日常から非日常の泥沼にずぶずぶとわずかずつ引き込まれていくかのように巧妙に描かれている。
で、あるから、「死」を主人公に実感させる小道具も、コオロギの声などかなり地味で、死体の隠し場所にしてもものすごい細かい観察から導き出された推理の賜物として提示される。
一方、これらの小道具は、映画の方ではよりわかりやすく、よりあからさまになっているが、それゆえに物語のテンポを良くし、観客を引き込みやすくなっているのがわかる。そして、登場人物もどちらかといえば映画版の方が華やかだ(原作には主人公の恋人は登場しない)。
そう、危険や恐怖の主人公への接近の仕方が、原作を「這うように」と例えるとすれば、映画の方は「足音を立てて」と形容できるのではないだろうか。そしてそれは、各々のメディアで考えられる最良のサスペンスの演出を模索した結果の選択であるような気がする。
なんだかたどたどしくなってしまったが、この原作とヒッチによる映画化は「幸せな結婚」といえると素直に思う。少なくとも、「原作の方が面白かった」ともその逆も言いたくはならないのがその証拠といえるだろう。といってもコレは私個人の感想なのだが、他の方はどう思われるだろうか。