「おやじに捧げる葬送曲」(多岐川恭)
・作品紹介
ある探偵社で働く「おれ」は、重病で入院し、手足も言語も不自由な「おやじさん」のもとに度々見舞いに訪れる。そこで今「おれ」が巻き込まれている宝石商殺害事件のことをちらりと話すと、「おやじさん」はやけにそのことにこだわる。そして、その殺人事件、その前に起きた十億円の宝石盗難事件の話や、おれの家族の身の上話をやたら詳しく聞きたがる。何か一つの事柄について話すと、その裏にある秘密やおれのちょっとした嘘まで全て見破ってしまうおやじさん。体は不自由でも、頭の方は全く衰えていないのだ。そんなおやじさんの病状は日ごとに悪化していくが、それでもおやじさんは推理を続け、やがて全ての事件のつながりから、宝石商殺しの真犯人を見破るのだった――
「時の娘」「成吉思汗の秘密」などの「ベッド・ディティクティヴ」ものの系列につながる作品として、永らく「幻の名作」とされてきたこの作品。しかし、「時の娘」や「成吉思汗の秘密」、更にコリン・デクスターの「オックスフォード運河の殺人」に至るまで、ベッド・ディティクティヴの典型は「過去に起こった事件の推理」なのに対し、この作品では「おれ」が巻き込まれている現在の事件を取り扱っているのは特徴的である。また、語り口も、「おれ」が「おやじさん」に話しかける言葉のみで進んでいく(時折、おやじさんの病状を確認するために、医者や看護婦に話しかける部分もあるが、ここでもやはり「おれ」の言葉しか出てこない)のも、面白い。そのため一度も「おやじさん」が言葉を発するシーンはないのに、不思議と頑固で人情深く、それでいて慧眼の「おやじさん」の顔が自然に浮かんでくるのだから、不思議だ。そして、病気が進行すればするほど、「おやじさん」の体の自由は奪われていき「おれ」との意志の疎通は困難になっていくが、それに反比例して、「おやじさん」の推理は鋭さを増していく。これらの、全体的な構成の妙、計算し尽くされているとしか思こえない
技巧的なストーリー展開は、まさに巨匠多岐川恭ならではだろう。そして、張り巡らされた伏線(これがまた、「おれ」の気さくな物言いにまぎれて非常に上手く隠されているので、ぼやっとしていると見逃しそうになる)が最後に暴く、意外な真犯人。
本格推理の醍醐味に加え、「おやじさん」の人情味、「おれ」を巡る人間模様なども趣深く、まさにどの角度から見ても「傑作」の名に相応しい。
・作者について
多岐川恭(たきがわ・きょう)・・・ 1920年(大正9年)、北九州市生まれ。本名松尾舜吉。東京大学経済学部卒。1953年(昭和28年)、白家太郎名義で「みかん山」が宝石懸賞小説の佳作に入選し、デビュー。その後、1956年(昭和31年)の、「落ちる」宝石賞2位入選を経て、1956年(昭和31年)、河出書房が「探偵小説名作全集」のために募集した新人書き下ろし長編をに「氷柱」が次席入選。しかし、この企画は、河出書房の操業停止のため中断、1958年(昭和33年)に河出書房が復活した際に出版され、その際に筆名を「多岐川恭」に改める。なお、
「氷柱」は同年の第39回直木賞候補作となった。またその年、「濡れた心」が第4回江戸川乱歩賞を、第40回直木賞を「落ちる」「笑う男」、「ある脅迫」で受賞した。その後何度も、日本推理作家協会の「推理小説ベスト」「推理小説代表作選集」に収録されたり、日本推理作家協会賞の候補となり、名実共に日本の推理小説界の重鎮の一人となる。また、ミステリの他時代小説の書き手としても活躍。1989年(平成元年)、紫綬褒章授与され、1994年(平成6年)、脳梗塞のため惜しまれながら死去。
・作品データ
1984年に講談社が江戸川乱歩賞30回記念として企画した「乱歩賞作家オール書き下ろし推理祭」の一冊として、講談社ノベルズ版が出版された。が、これだけの傑作であるにも関わらず当時はほとんど話題にのぼらず、文庫化されることもなく、長期にわたって入手困難な状況が続いていた。で、あるから、2001年2月に創元推理文庫の多岐川恭作品再版に合わせて、「氷柱」に同時収録された際には、多くの安楽椅子探偵ファンが快哉を叫んだことであろう(私も、無論その一人。ちなみに私はこの文庫の発売が決定する直前、古本屋での長期間にわたる探索の結果ノベルズ版をゲットしたが、なんと結末部分の2ページが落丁していたため、絶望に陥りかけた。だから、今回の文庫化はまさに救いであった)。
創元の文庫は、当然まだ現役。是非ご一読を。