魔獣戦線


 世界的科学者・来留間源三博士は、人間と他の生物を融合させた<新人間(ニューマン)>を誕生させるべく、十二人の科学者と共に自らの妻・静江と息子・慎一をも実験台にした。その結果失敗作となった慎一を、来留間博士は殺そうとするが、猛獣と融合した静江が阻止しようとする。そのとき研究所を襲った落雷により、慎一と静江の体は融合し、復讐に燃える一匹の「魔獣」が誕生したのだった。魔獣となった来留間慎一は、「神」の意志に従い地球の破滅を目論む父と十二人の科学者を追い、凄絶な死闘を繰り広げるのだった。
 後々の石川作品で度々使用されるモチーフ「他の生物を吸収し、成長・進化する生物」が初めて登場する作品。当時永井豪氏の影響下にあった石川氏が、「デビルマン」と同様の「神と悪魔」+「世界の破滅」に真っ向から取り組んだものだが、デビルマンより更に血生臭く、人間の負の部分が(デビルマンでは、なんだかんだ言いつつ不動明の戦いの動機は「正義」であったと思う。が、リベンジャーとして誕生した慎一は、そもそも生きる原動力からして父への憎悪そのものである)クローズアップされていた。先ほど述べたように「デビルマン」と共通点の多い作品であることから、両者を比較してみると、その相違点に永井ワールドと石川ワールドの決定的な視点の違いを見ることが出来て面白い。まず、最終的にハルマゲドンという高次元の戦いの後に全てが終息した静かな世界の場面で終わるデビルマンに対して、血にまみれつつ神の軍団との戦いに赴く悪魔と化した慎一。永井ワールドが光あふれる天空目指して飛翔せんとする、悪や醜さの中にあっても善や美を求める人の姿を体現しているとするならば(あくまで個人的解釈)、石川ワールドは地を這いずり暗闇や欲望や絶望をも飲み込み受 け入れてなお生き抜こうとする、より野生的な人間像の現れといえないだろうか。
 なんだか書いていてよくわからなくなったが、ようするにそういった石川ワールドの原点にして全ての要素が圧縮された、石川賢を、ひいてはゲッターを語るうえでも外すことのできない作品である、ということを言いたいのです(笑)。OVA真ゲッターの流竜馬のキャラデザインは、ほぼそのまんま来留間慎一のものを流用(実際、竜馬の性格・設定も非情な復讐者ということで慎一に準拠していた)していたというのも有名な話。
 ただ、個人的にはこの物語に不満もないではなく、どうせなら十三人の科学者全員と血みどろの戦いを繰り広げるところも描いてほしかったなあ(結局、源三との決着もどうなったのかよくわからないし)、というのは素直な願望です(笑)


 相変わらず、あんまりガイドになってないねえ(^^;)

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