虚無戦記


 全てを飲み込み、食らい、吸収・成長してゆく、ラ・グース宇宙と、それに属する「神の軍団」。全宇宙の存亡をかけて、それに立ち向かう「羅王」をはじめとする軍団。宇宙の果てで、終わりのない闘いを繰り広げる彼ら。一方、宇宙のあちこちで、両者の闘いの鍵を握る者たちが誕生し、そしてまた、その使命を阻まんとする敵と闘っていた。美勒、虎、爆裂王――時間と空間を超えた虚無の彼方、幾星霜にも及ぶ月日に渡って続く闘いに、果たして勝者はあるのか?
「虚無戦史MIROKU」、「5000光年の虎」、「邪鬼王爆裂」など、傑作とされる過去の石川作品の世界観を「宇宙の果てで続く神々の闘い」というキーワードでリンクさせ、実際に遥かな宇宙で起こっている文字通り天文学的規模の戦闘シーンを描き下ろしで追加、幾多の石川作品を一つの巨大な宇宙的レベルの大河ドラマとして完結させよう、という、ある意味人間業を超えた試みが、この「虚無戦記」だ。ゲッターと並ぶ石川作品の総決算として、超弩級の傑作となることをファンの誰もが期待したに違いない。実際、それを一個の作品として読んでも絶対目が離せない、描き下ろしの羅王軍VSラ・グースの闘い、意外なところで繋がりあういろいろな作品の伏線、そして過去に傑作とされながらも絶版等の事情により読めなくなっていた石川作品のあれこれとその追加エピソードなど、新しい巻が発売されるごとに、ファンたちは握り拳で歓声をあげ、血湧き肉躍る感想や今後の展開の予想を、声高に語り合った。
 しかし――このあまりにも大きすぎる期待を背負ったシリーズは、7巻をもって中断することとなる。その結末部分はある意味で、石川作品にとても多いパターン、大先輩ふりーく北波氏曰くところの(勝手にお名前使ってすみません)、「さあ闘いだ」効果の発動でもあった。何があろうと石川作品を追いかけ続けていく、と決めていたファンですら、これには相当のショックを受けたに違いない。後書き(?)で石川賢氏自身が「虚無のかなたはやっぱり虚無でした」とおっしゃられていたが、あまりにもスケールの大きな物語ゆえに、作者自身の手にも負えなくなっていたのか。おそらく、この一件にて、石川賢氏のことを「期待を裏切った」「大風呂敷を広げすぎた」と断じた読者も相当数いると思われるが、そうしたむきには、ちょっと待って、と申し上げたい。
 実は自分も、あのラストでいささかは拍子抜けした一人ではあるのだが、その後じっくり考えるうち、あのラストこそラ・グースとの闘いが「人知の到底及ばぬ次元の闘い」であったことの証明なのではないか、という結論に達したのである。
 文章表現として、「想像を絶する」とか「人知を超えた」とか、特にSFやホラー小説などでよく使うが、実際に具体的に書いてしまうと、それは既に人間の想像力が到達したということで、「想像を絶した」ということではなくなってしまう。それすなわち、その作者が「人知を超えている事柄」として定義したかったものが、「人知を超えていない」ことを証明してしまったということなのではないだろうか。
 つまり、石川氏は確信犯的にか偶然のたまものかはさておくとして、あの7巻終盤部分で、あのようなラストにすることによって逆に、「真の意味で想像を絶する闘い」を描いていたのだ、と思うのである。とはいえ、いくら人間の想像力が及ばぬとはいっても、あるていどの方向性がなければ、あまりに漠然とし過ぎていて面白くもなんともない。「それは激しい闘いだった」と活字で書いてあるのを読んでも、何がどう激しかったのかわからないのと同じである。その点――この作品の場合は、遥かな宇宙の果て、星々をも破壊しながら繰り広げられる闘いに思いを馳せるには、十分過ぎるほどの材料が与えられている。石川氏が手を抜くことなく緻密に描き上げた、ラ・グースとの闘いの情景。それは、例え物語として全てが語られることはなくとも、我々の意識を深宇宙の見果てぬ夢へと、自然に導いてくれるのである。
 ・・・なんて、あのラストに関する私的考察で大部分を割いてしまいましたが(^^;)。ラ・グースとの闘いにこそ決着はつけられなかったものの、過去の傑作石川作品を存分に読めた、という意味では(元の方をちゃんと確認していないのでなんとも言えないのだが、「虎」も「爆裂」も、ちゃんと旧作の結末までは収められている模様)ものすごい価値のある仕事だったと思うし、最後がどうあれ、物語全般としてたっぷり暴れて楽しませてくれたのは間違いのないこと。こいつもまぎれもなく、こちゃこちゃとややこしい理屈を並べるまでもなく、「傑作」であることは、声を大にして言っておきたい。 


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