「めまい」(”Vertigo” 1958年)
・ストーリー
自分を助けようとして同僚の刑事がビルから転落死して以来、サンフランシスコ市警のスコッティ刑事は、重度の高所恐怖症――少し高いところに上っただけで強いめまいを感じるようになる。落胆した彼は、恋人ミッジに慰められても立ち直れず、辞職してしまった。そんなある日、彼は旧友のギャヴィン・エルスターから、時折夢遊病者のごとく放心して街を彷徨う癖のある彼の妻マデリンを、見張るように依頼される。早速マデリンを尾行するスコッティ。彼女は花屋、墓場、そして最後に美術館で一枚の絵をじっと見つめているが、その間の記憶はないらしい。そして調べたところ、彼女が立ち寄る場所はカルロッタ・バルデスという悲劇の女性に縁があり、彼女はその曾孫にあたるのであった。カルロッタの亡霊に取りつかれたかのように彷徨うマデリンだが、彼女は不意にスコッティの眼前で海に飛び込む。それを助けてしまったのがきっかけで、マデリンとスコッティは急接近することになり、スコッティはマデリンを愛してしまった。だが、マデリンは彼と一緒にいるとき、突然教会の塔に駆け上がって自殺を図り、高所恐怖症であるスコッティはめまいに襲われたため、彼女を止めることが
出来なかったのである。またも自らの無力のために人を死なせてしまったスコッティ。それでも、ミッジの献身で再び立ち直ろうとするが、そんな彼の目の前に、マデリンとそっくりな女が現れる。ジュディと名乗る女は、マデリンとは全く関係ないと主張するが・・・。果たして、彼女とマデリンの関係は?そして事件の真相に隠されたジュディの苦しみは、スコッティを愛してしまった彼女を追いつめてゆく――
・紹介&感想
こうしてストーリーを書いてみると、存外に複雑な筋なのに気付く(笑)。スコッティの高所恐怖症を利用した完全犯罪のトリックも、本格ミステリ好きの私にはたまらないが、それが明かされるまでのおどろおどろしい雰囲気、そしてスコッティを襲う高所恐怖症の発作と、どのしかけも観るものの心を掴んで離さない。特に、スコッティの視点をスクリーン上で再現する、足元の景色がぐいーーんと伸びる描写など、観客をスコッティの恐怖にシンクロさせ、ハラハラ感を最大限に煽るのに成功している。知性派美人のマデリンと、はねっかえりなジュディを見事に演じ分けるキム・ノヴァクも上手い。彼女はヒッチコックにあまり好かれていなかったらしいが、彼女のテクニックと神秘性なくして、この作品の序盤から中盤にかけての妖しさ、不安感は表現出来なかったろう。
このように、数々のマジックにより、この映画はサスペンスとして最高に盛り上がるが、屈折した恋愛映画としても相当に切ない。自らが死に追いやってしまった女の影から逃れられぬスコッティ、そして瓜二つのジュディを見つけたときに異様な執念を見せるスコッティ。その彼を、もうマデリンの影から取り戻すことが出来ないと知っていながらも懸命に支えるミッジ。スコッティが愛しているマデリンの影に悩まされつつ、自分自身として愛されたいと思いつつ、スコッティの妄執に最後まで付き従うことを選ぶジュディ。(このあたりは、もっと更に複雑な事情があるのだが、未見の方のため伏せておく)。幻想味あふれるサイコ・サスペンスであると同時に、救いのない倒錯的ラブストーリーとして、この作品を推したい。
・データ
製作・監督 アルフレッド・ヒッチコック
原作 ピエール・ボワロー&トマ・ナルスジャック
脚本 アレック・コペル サミュエル・テイラー
撮影 ロバート・バークス
音楽 バーナード・ハーマン
出演 ジェームズ・スチュアート(ジョン・「スコッティ」・ファーガソン)/キム・ノヴァク(マデリン・エルスター/ジュディ・バートン)/バーバラ・ベル・ゲデス(ミッジ)/ヘンリー・ジョーンズ(検死官)/トム・ヘルモア(ギャヴィン・エルスター)/レイモンド・ベイリー(医師)