「サイコ」(”PSYCHO” 1960年)


・ストーリー
 マリオン・クレーンは会社の金を横領し、恋人サムのもとに逃走する途中、嵐を避けるために、やむなくノーマン・ベイツが母親と二人で経営しているモーテルに投宿した。
 ノーマンは大人しいが親切な好青年で、マリオンに自分の身の上話を始める。母親の話題になると病的にむきになる彼に、いささか不審を抱くマリオンだが、彼と話すうち自分の行動を後悔し、金を返して、人生をやり直そうと決める。そしてシャワーを浴びる彼女だが、そこに不吉な死の影が迫る。シャワー室のビニールカーテンに映る影、開かれるカーテン、振りおろされるナイフ、絶叫――
 行方不明扱いとなったマリオンを探すため、サムと、マリオンの妹ライラは、探偵アーボガストに捜索を依頼する。彼はノーマンのモーテルを訪れ、彼女が滞在していた痕跡とノーマンの挙動の不自然さから、ノーマンが事件に深く関わっていることを確信、ノーマンの家に忍び込もうとするが――その彼の背後に襲いかかり、ナイフを振りおろす影。その姿は――女。
 そして、モーテルに迫るサムとライラが目撃する、ノーマンとその母親の、あまりにも歪んだ関係の真実とは?

・紹介&感想
 ストーリーを書いてて、これほど空しくなる映画も珍しい(笑)。あまりにも結末が有名過ぎて、観ていない人でさえオチだけは知っている、という(クリスティの「アクロイド殺し」や「オリエント急行の殺人」と同じような現象である)パターンが多いのである。その点、私事ながら、自分がこの映画を観たのは中学の頃、何の予備知識もなしにあの驚愕のラストを味わうことが出来たので、幸運だったというべきだろう。 しかし、その映像はあまりに衝撃的過ぎて、今なお目を閉じると、ラストシーンのノーマンの「あの」独白をしている最中の、深淵から覗くような瞳が浮かんでくるのである。
 それはさておき。ヒッチコックの定番の一つ、アメリカ時代のピークの一隅を担うのがこの作品。原作は1957年に起こったエド・ゲインの猟奇事件をモデルにしたといわれる、ロバート・ブロックの同名作品。映画の方があまりにも有名になり過ぎて、「サイコ」の原作者という名前で呼ばれることになったブロックが、大いに不愉快を表明していたというのも、これまた有名過ぎる話。
 そしてまた、ノーマン役のアンソニー・パーキンス。彼もこの映画のあまりの成功のため、そしてまたサイコな役柄をあまりにも完璧に演じきってしまったがために、その後このイメージが定着してしまい、悩まされたという。
 巨匠の代表作の一つが、あまりにも傑作であるがゆえの「呪い」をいろいろな方面に振りまいた、ともいえるこれらのエピソード。完璧過ぎるものはむしろ災いを招く、ということの表れなのか。
 それにしても、猟奇殺人がネタの映画でありながら、改めて考えてみると、ほとんど実際に残酷な光景がほとんど直接には描かれず、シャワー室の床を流れる血、ナイフを突き刺す(突き刺される)動作を繰り返す影、などの、人間の創造力を刺激するキーワードだけで絶大な効果をあげているというのも、天才のなせる技だとつくづく感動させられる。そういえば近年、この映画をリメイクした作品が公開されたが、やはりカラーでは逆に、これだけの効果を与えられないのではないか(まだリメイク版を観ていないのでなんともいえないが)と思う。光と影をくっきり写し込むモノクロだからこそ。少なくとも、自分にとってあのノーマンの闇から覗く眼差しは、モノクロだからこそ感じられる深い深い暗さに満ちて、心の暗闇を射ぬくのである。
 なお、マリオン役のジャネット・リーは、この作品でゴールデングローブ助演女優賞を受賞している。

・データ
 製作・監督 アルフレッド・ヒッチコック
 原作 ロバート・ブロック
 脚本 ジ ョセフ・ステファノ
 撮影 ジョン・L・ラッセル
 音楽 バーナード・ハーマン
 出演 アンソニー・パーキンス(ノーマン・ベイツ)/ジャネット・リー(マリオン・クレーン)
     ジョン・ギャビン(サム・ルーミス)/ヴェラ・マイルズ(ライラ・クレーン)


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