雑文
「わたしとゲッターとのなれそめ」


 私の年齢なんぞ誰も聞きたくないだろうが、私が生まれたのは1972年。
 ゲッターロボが放送されたのは74〜76年の間(Gも含める)だから、2〜3歳児という物心がつくかつかないかの時期であったワケだ。よって、リアルタイムでゲッターの放送を観た記憶は全くなく、ゲッターの存在そのものを知ったのはご近所からおすそ分けでもらった(貧乏な家だったので自分ところでは買えなかったらしい)ゲッター1・2のソフトビニール人形であった。このソフビ、今思い出してみるにかなりのビッグサイズで出来もよく、かなり長いこと気に入って持っていたようだが、小学校高学年のときあたりに大掃除で捨てられてしまった。今持ってれば値打ちモノであり、かつ、出来のよさ故に目の保養にもなったのに、と心底悔やまれる。
 それはさておき。その後、ゲッターのストーリーも設定も知らず名前と姿形だけしか知らないまま、私は成長した。おまけに実は、自分は小学生の時期、ダイナミックプロ系のコミックを毛嫌いしていた(その割に、アニメの方はきっちり観ていたような。デビルマンの再放送も食らいついて観てたし)。どうもあのキャラクターたちの鋭角的な顔つきが怖かったらしく、特に永井豪はスケベ方面の作品がご近所・同級の子供仲間うちでタブー視(笑)されていたこともあり(でも絶対、みんなこっそり観てたはず(笑))、一時徹底的に拒否していたのだ。それからしばらくの間、自分はダイナミック系作品の本当の価値を知らぬまま何年かを過ごすことになる。今考えると本当に惜しい時間を過ごしたものだ。
 そんな季節の終わりが訪れたのは、高校一年生のときだった。
 たまたま同じクラスになったO君彼とはいろいろと趣味が合い、面白い小説やコミック・ゲームなどを教えてもらったが、その中に石川賢作画の「魔界転生(山田風太郎原作・角川書店刊)」があった。それまでダイナミックな絵柄を嫌っていた自分も、O君の鑑賞眼を信頼していたこともあり、「絶対面白いぞ!」と強く勧める彼の言葉を素直に受け入れ、早速読んでみた。
・・・・そこには、自分が今までの漫画で観たこともない世界があった。
 躍動感あふれる戦闘シーン、グローバルかつエキサイティングな世界観、アクの塊のようなキャラたちの存在感。息をするのも忘れそうなほど夢中でページを繰って、あっという間に読み終えてしまった。
 かつて嫌っていたダイナミック絵柄も、まるで気にならない・・・どころか、こんなかっこよく見える絵柄をどうして自分が嫌っていたのか、まるでわからなくなるほど・・・それほどのカルチャーショックをこの作品はもたらしたのだ。そして、この時点から私の脳裏には「石川賢」という漫画家名がプリンティングされ、当時少年キャプテンで連載中だった「虚無戦史MIROKU」やその後スタートした「スカルキラー邪鬼王」などを継続して読みふけり、古本屋にては「魔獣戦線」を漁り出してのめりこんでいったのであった(無論、同時進行で永井豪の諸作にも触れる。「デビルマン」は勿論、「手天童子」など。こちらも大感動)。たしか「ゲッターロボ號」は「邪鬼王」の後に始まったので、このまま読み続ければゲッターに思い切りはまっていたことは間違いないのだが、残念ながらここで受験期を迎えてしまったために、一旦石川賢探究(というほどのもんではないが・・・)は中断を余儀なくされ、石川賢というビッグすぎる存在に出会いながらも、その真骨頂をみすみす見逃してしまったのであった。
 そして就職。現在。石川賢の存在が気になりつつも、日々の忙しさにかまけ忘れかけていた日々が続いていた。それを打ち破ったのは、1999年に入ってからの「ダ・ヴィンチ」に掲載された氏へのインタビュー記事。石川賢氏が、今までの作品群を集大成すべく活発な執筆を行っている!この記事を読み、忘れかけていた石川熱が一気に蘇り、ここで紹介されていた「ゲッターロボ・サーガ」と「虚無戦記」を早速買った。読んだ。その結果。
 見事ツボ(爆死)。
  まあ、「虚無戦記」は以前「MIROKU」をリアルタイムで読んでたから、昔を懐かしむプラス世界観のスゴさおもしろさを再確認することはあっても、いま一度カルチャーショックを受けるには至らなかったのだが、既にお察しのようにゲッターは、まさにまさに、長い旅の末にやっと辿り着いたエルドラドのごとく、私の前に輝かしく降臨したのであった。
 コミック版ゲッターへの賛辞はコミック版ゲッター紹介のページで書いてあるのでここでははしょるが、まさに、高校時代に夢中になった石川賢の諸作の、原点がまさにそこにあったのである。
 さて、ここから後は皆様もご存じの通り。
 OAV、アニメ版のビデオなどを収集し、「真ゲッター」にもずぼぼとはまり、ついにはこんなページまで作るようになってしまったワケである。
 以前は、ただのロボットアニメの一つにしかすぎないと思っていたゲッター。
 そのシリーズ全作の根底に流れる一つの巨大なテーマ――生命(だと自分は思っている)。
 それについて考えながら、ページをめくる度、いつも思う。己を獣と化しても自分の信じるもの、あるいは自分自身のために戦いゲッターチーム――自分もまた、あのように荒々しく生きられたらと、憧れる。(いっておくが、映画のワンシーンにとち狂って銃を乱射したような、ぱーぷりんなどこぞの高校生とは違うぞ!私は暴力を実際にふるうのは死ぬほど嫌いである。ゲッターのバイオレンスさを好むのは、その中に垣間見える剥き出しの野生に強く惹かれるからである・・・なんて理屈はどうでもいい。現実じゃ大人しくしてんだから、非現実の中にカタルシスを求めたっていいだろ!)。
 そしてまた、作者石川氏の、年齢に関係なく常に熱く現役で描き続けるひたむきさにも。
 なんかウダウダと長くなってしまったが!
 ようするに言いたいことは!
 生まれたからにゃ熱く生きようぜ!!
 そんな気持ちにさせてくれるのが、ゲッターなのである。
 みんな、ゲッターで熱くなろう!(って、宗教やクスリの勧誘じゃないんだから(^^;)>自分)


 結局、何を書いたのやらワケわからんですな(^^;)

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